公文国語のやめどきは? 「自律的な学習」の可否が判断のポイントになるでしょう

公文 国語

 どんなものにも始まりがあれば終わりがあります。公文国語も同じで、一旦学習を始めたとなれば、いつ学習を辞めるのかという点も同時に考えなければなりません。

 今回は公文国語のやめどきがいつなのか考えていきます。

公文を続ける現実的なタイムリミットはある

 大前提として、公文を続ける外的な要因でのタイムリミットは存在します。公文は受験や部活と言った目の前のイベントのためのものではなく、幼児期から大人まで、長期間での学習を支えるための塾だからです。目の前のイベントへ全力を注ぐ必要があれば、公文は辞める必要が出てきてしまいます。

 こうした外的な要因でのタイムリミットについては下記で解説しました。

 今回はこうした要因でのタイムリミットではなく、子供の学力を上げるためという積極的な理由でのやめどきについて考えていきます。

公文国語の学習内容には不足がない

 しかし公文国語に限って言えば、公文では学習できないという内容はありません。

 算数であれば図形問題は扱いませんし、英語であればスピーキングやライティングには不足があるかもしれません。しかし国語の内容はほとんど網羅されています。漢字や文法は一通り扱いますし、古文や漢文の教材もあります。難易度もひらがなから難解な名文まで幅広く扱っています。公文ではこれが学習できないという内容はないのです。

 「小論文」を国語に含めるなら公文では不足があるでしょう。しかし国語という科目で出てくる内容は、ほぼ全てを公文の国語で学習する事ができます。

#N/A

 では公文国語を辞め、他の教材での学習を進めるメリットはどこにあるのでしょうか? これは「優先順位の変更」にあると言えるでしょう。

 例えば思考力です。公文の教材ができた時代と比べ、現在では早い段階から思考力が重視されます。公文でも思考力が必要になってくる教材はありますが、J教材(高校一年相当)になってようやく関連する内容が出てきます。これは現代の感覚からはやや遅いと言えるでしょう。

 また基礎的な部分を重視する教材ですから、応用に当たる部分の問題はそこまで出てきません。自由な発想で文章を書いたり、漢字検定で上を目指したりと言ったプラスαの部分には、より適した教材があるのも事実でしょう。

 公文ではオーソドックスな順番で基礎を身につけられます。他の教材を使う事で、学校の授業で習うような順番とは違う順番・違う質の実力を身につけられるかもしれません。

優先順位を変更した先をフォローしてもらえる教材はほとんどない

 しかしここで問題になってくるのが、優先順位を変更した先をどうするかです。

 公文の大きな特徴は対象年齢の広さです。公文の国語を習わせておけば、公文だけで幼児期から高校修了までの学習を一気通貫でフォローしてもらえます。

 こうした特徴は他の教材にはなかなかありません。例えば中学受験塾に入れば、中学受験において公文式よりはるかに高いパフォーマンスを出せますが、中学受験の先はフォローしてもらえません。

 また子供の年齢が上がる程に、親が学習を強制する事は難しくなります。短期的に良い成果を出せても、その先をどうするのかという戦略を立てる難しさがどうしても出てきてしまうのです。

目の前の脅威を乗り越えた先の向上は「自律的な学習」によって生み出せる

 公文のやめどきはいつなのかという論点への答えもここにあります。自律的な学習が可能になった時点が公文のやめどきなのです。

 公文には「とりあえずやらせておけば安心」という部分があります。一方で公文を辞めた後は、年齢や学年に応じて適した学習の戦略を立てなければなりません。そしていずれはお子さんが親の手を離れていってしまうタイミングが来ます。

 経済的な自立は受験よりずっと先かもしれません。しかし精神的に自立しようとするお子さんの試みは、小学校高学年には始まってもおかしくありません。

 そしてお子さんが自分で考えるようになった後の学習の成否を決めるのは、お子さんが自分自身で学びを進められるかどうかにかかっています。ですから「自律的な学習」が公文のやめどきを決めるポイントになるわけです。

 公文には推薦図書という仕組みがあり、学習の進度に応じた難易度の本のリストがあります。また読解を重視しているので、国語の学習の肝となる読書をする力も伸ばしてくれます。さらに公文は自習が学習の中心に置かれています。自力で学習を進めるために必要なものは揃っているのです。

 こうした公文の考え方がお子さんに根付いていれば、公文を辞めても学習を前に進めていく事ができるでしょう。

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