公文は最終教材を目標に。元公文生が子供に「小学校で最終教材修了」を目指してほしい理由を話します

公文 受験

 私は公文生でした。小5から中1の途中まで通い、国語と数学はJ(高校一年相当)の途中、英語はG(中学一年相当)の所で公文を辞めました。

 国語と数学は大学受験やその先の人生において大きな財産になった一方で、英語は全くやる気が起きずこれと言った効果は実感できませんでした。また国語や数学ももっと進められれば大きな効果があっただろうと感じています。 

 子供も公文をやってもらおうという話になった時、より大きな効果を上げてもらう事はできないか考えました。子供は三歳になる所です。小5から始めた自分とはまた違う問題があるかもしれないと思っていました。そして実際に、自分が公文を始めるより手前にも公文を続ける際の壁があるようでした。

 今回は自身が公文をやってきた経験を元に、子供が公文を続けていくための作戦を考えました。

公文の仕組み

 公文で取り扱っている主要科目は国語・数学・英語です。幼児期だと「ズンズン」という運筆の教材も加わり、またフランス語やドイツ語も扱っている教室もあるようです。

公文の国語・算数・英語・ズンズンの進度表

 中学までは概ね「アルファベットが一つ進むと学年が一つ進む」という形になっております。私の頃は小学6年生までに中学三年相当のI教材を突破すると「Iリーグ」という会員に登録されるのが一つのモチベーションになっていました。今ではJ教材を突破して「Jフレンズ」と呼ばれるものに登録できるようですね。

 そして数学ではQ教材、英語と国語はO教材まで進むと「最終教材修了」という形になります。その後は大学教養課程の研究コースもありますが、最終教材が一つの目安になると考えていいと思います。

 一つのアルファベットには200枚(一部は400枚)のプリントが含まれます。各プリントの内容が身に付いたと教室の先生が判断したら、次の教材へ進んでいけるという仕組みになっています。

公文の特徴

 公文での学習には特徴的な部分があり、下記の4つは理解しておいた方がいいと思います。 

  1. 教材は「簡単な所」から「反復練習」を行う
  2. 先取り学習ができる
  3. [算数・数学] 図形や文章題は公文では扱わない
  4. [国語・英語] 読解中心で漢字や英単語・英文法はあまり力を入れていない

1. 教材は簡単な所から反復練習を行う 

 公文では基礎を徹底します。簡単な足し算だろうと因数分解だろうと、ノーミスですらすら解けるまでは同じ範囲の問題を徹底して繰り返します。普通だと一つ二つミスしたり、時間がかかっても「できた」とみなされると思います。「なんとか解ける」ではなく「楽勝で解ける」所を目指すので、親から見ると思ったより簡単な所を延々繰り返しているように見えます。

2. 先取り学習ができる

 公文では今の学年ではなく、どれくらい実力が付いているかを見て教材を進めていきます。そのため順調に学習が進んでいれば、学年よりはるかに先の教材を学習する事もできます。そのため子供の熱意によっては想像以上の実力を付けてもらえる一方で、天才と呼べるような子供と比較し、焦りや嫉妬を感じてしまう親も多いようです。

3. [算数・数学] 図形や文章題は公文では扱わない

 公文では図形や文章題を扱いません。そのため小学校・中学校で勉強する範囲の中に、公文ではやらない範囲があります。一方で高校で勉強する範囲はカバーされております。

4. [国語・英語] 読解中心で漢字や英単語・英文法はあまり力を入れていない 

 公文の英語・国語は読解が中心で、漢字や英単語・英文法にそこまで力を入れません。最終的に目指す所が長文読解や名著に触れる事あたりにあるのでしょう。そのためテストの最後の方に出てくる長文読解のための力が付きやすく、逆に最初の方に出てくる漢字や文法の問題を解くための力は付きにくいでしょう。

公文をさせる上でのコスト

 まずここまで検討した事の手前で、そもそも子供に習い事をさせられるのかという論点での検討は必要です。

 公文は一教科ごとに幼児・小学生であれば東京・神奈川なら7,700円、それ以外は7,150円の月謝がかかります。複数の教科を学習しても割引はありません。

 近くにある教室の確認も必要で、教室ごとに曜日は異なりますが、週2で教室へ通う事になると思います。

 また公文は家庭学習が主になります。家で宿題をしてもらうというのは、子供がどの年代であっても違った苦労を伴います。ベビースイミングや体操教室へ通わせたとしても、毎日自宅での練習を求められるケースは少ないでしょう。どんなジャンルでもレベルが上がれば自宅での練習は必須になりますが、公文は最初からそのタイミングが来ます。 

公文を辞めてしまいがちな3つのタイミング

 このあたりの広い意味でのコストというのは、多かれ少なかれ習い事をさせればかかってきます。そしてこれらのコストを「絶対に払えない」という過程は少なく、ほとんどの場合は「頑張れば払える」という類のものになるでしょう。

 だから頑張る理由を失った時が習い事を辞める時になるでしょう。そして公文を頑張ろうと思えなくなりやすい3つのタイミングがあります。 

  1. 幼児期 - これくらいなら自宅でもできるのでは?
  2. 小学校四年生 - 中学受験には公文では対応できない
  3. 中学入学後 - 公文をやる余裕がない

1. 幼児期 - これくらいなら自宅でもできるのでは?

 これは公文の特徴である「教材は簡単な所から反復練習を行う」という所から出てくる疑問です。

 公文では「今でもできる」と感じる所から学習が始まります。公文における「できる」のレベルは標準よりもかなり高いからです。だからスタート地点が簡単なだけではなく、半年、一年と続けていても、親から見れば簡単だと感じる教材を延々と子供がやっている状態になります。

 加えて子供にプリントをやってもらうというのはなかなかに大変な事です。幼児であれば親が付きっきりになって教材をやるよう指示されますし、公文では毎日の宿題があります。大変な思いをしているうちに、ここまで苦労してこんな簡単な事をやらせる意味があるのかという思いが湧いてきます。

 例えば国語であれば、プリントに書いてある動物や乗り物の名前を一緒に読んであげる。算数であれば動物や乗り物を一緒に数えてみる。幼児期なら運筆の教材もありますから、上から下に向かって線を引く。子供の年齢としては別におかしな事をやっているわけではなくても、親が疲れている時に「なんでこんな事をやっているのだろう」と感じてしまうのも無理はない事だと思います。

 結果として公文を辞めてしまう。これは比較的よくあるパターンではないかと思います。

2. 小学校四年生 - 中学受験には公文では対応できない

 こちらは「図形や文章題は公文では扱わない」や「読解中心で漢字や英単語・英文法はあまり力を入れていない」と言った特徴から出てくる問題です。

 公文は全体的に、大学受験、あるいは大学入学後の勉強を意識して作られている感じがします。算数・数学では小学校・中学校の範囲は一部飛ばしていても、高校の範囲は全部カバーされていますし、国語や英語で最終的に必要なのは論文を読む力です。だから大学で求められる基礎力は付くかもしれませんが、中学受験には対応できるものではないでしょう。

 そのため中学受験をするためには、公文とは別に中学受験用の塾へ通う必要があります。しかし公文は自習量と進度は直結していますし、中学受験塾の宿題も片手までできる程度の量ではなさそうです。結果として公文を辞め、中学受験へ専念する。これは一つのパターンなのではないかと思います。

 またこの傾向を最初から理解している家庭では「小3までにF教材(小6相当)」を終わらせ、小4から中学受験塾へ切り替えるパターンが見られます。先取り学習もまた公文の一つの特徴ですし、中学受験塾への入塾時点で基礎的な計算力や読解力が高いというのは強みになるでしょう。これは一つの賢い考え方ではないかと思います。

3. 中学入学後 - 公文をやる余裕がない

 そして中学入学後です。中学の活動が忙しく、公文をやる余裕がない。これは私が公文を辞めた理由でもあります。

 中学校では部活動が本格化します。テストにも「定期テスト」や「期末テスト」という名前が付き、小学校の頃と比べ多くの人がしっかりテスト対策をするようになります。人間関係も複雑化しますし、中学受験をしなければ、中学校の方が楽だったという事にはなりにくいと想像できます。

 親の言う事を聞かせるような年齢でもありませんし、感情的にも不安定さが増します。こうなってくると公文を続けるためには本人によほどのモチベーションが求められてくる事になります。

 しかし公文の生徒のボリュームゾーンは小学生です。教室にもよるでしょうが、中学生以上の生徒を見る機会はほとんどありません。恥という感覚も加わり、モチベーションを持ち続ける事はより難しくなります。

 最初の二つの辞め時は親側の判断によるものですが、これは本人の判断によるものになりやすいでしょう。

公文を続けやすくなる条件とは?

 これらの「公文を辞めたくなるタイミング」を踏まえ、親として取るべきスタンスはどんなものになるでしょうか。

 まずは公文の特徴を理解する事でしょう。特に幼児期です。基礎を徹底するという公文の考え方に慣れる事で、初期に感じやすい違和感を軽くできます。幼児期から公文を始め、小学生まで続けた子は進度が速い印象があります。苦労するだけの価値があると思えるかどうかは成否の分かれ目になります。

 その上で中学受験へのスタンスというのは重要な問題になります。小3、小4で公文の最終教材を終えたという話はさすがになかなか聞きません。また中学受験の間は公文を中断し、中学で再開するというのも上述の理由で難しいでしょう。中学受験の有無で公文の果たせる役割は大きく変わります。パートナーや子供とここの認識を共有する事は重要でしょう。

 中学での公文の継続は難しくなってくると思います。仮に中1で継続できても、学年が上がれば高校受験が視野に入ってきますし、部活動でも中心メンバーになってきます。ここでも継続ができるとすれば、子供自身に公文を続ける強いモチベーションが必要でしょう。

 そして子供のモチベーションになるのは、やはり結果が出ているという事です。極端な話、入学時点であとアルファベット1つ分教材を進めれば最終教材が終わるのであれば、何とか頑張って終わらせようという風に思うものではないでしょうか。そう思うために必要なのは、公文が進んでいる事です。公文を一生懸命やっているという事が、ここでの継続の鍵になってくると思います。

どんな作戦を立てるべきか

  私の家では中学受験を回避する予定です。そのため公文を補助的なものではなく、学習の本線として捉える事ができます。

 そして通う事になりそうな中学では勉強に力を入れていそうです。学校の宿題が多いのであれば、部活動が本格的なものではなかったとしても、公文の継続がだんだんと厳しくはなってくるでしょう。

 そのためには進度が大事になってきます。スポーツやゲームが勝てば面白いように、公文もたくさん進められれば面白くなるでしょう。

 目指すべきは「小学校で最終教材修了」。ここが一つの目標になるでしょう。

 これは努力目標です。実際には最終教材まで進まなくてもいいですが、その時点で最終教材が見える所まで進めるのが理想です。仮に終わりが見えていなくても、公文がプラスになっているという実感を子供が持てていれば、中学入学後もその先に進もうと思ってもらえる可能性が高まります。

 そして公文で先に進むためには、早い段階から学習を始め、早い段階で生活の中に公文があった方が有利。そう理解できれば、幼少期の公文学習にも意味を見出しやすくなるでしょう。

どうしてそこまでして公文を続けてほしいの?

 これは自分が公文から受けた恩恵のためです。

 自分は国語と数学を小5から、英語を中1から習っていました。公文を始める年齢としては遅い方だと思っていますし、期間も決して長いとは言えません。

 しかしこの期間に身についた財産は計り知れないものでした。計算は元々「やや速いけどケアレスミスも多い」というタイプでしたが、公文で「結構速いしミスもほぼない」という状態になれました。国語も元々小説は好きでしたが、公文の教材で読んだ「甘えの構造」で評論文にハマり、読書の世界をぐんと広げる事ができました。そして何より自学自習の習慣と、基礎を鍛える事で得られる財産を実感できた事は、その後の人生においても大きな効果を生んでくれたと思っています。

 こうした能力は意図して鍛える事が難しい類のものですが、公文で身に付ける事ができるものでもあります。自分の中の大きな財産を子供にも手にしてもらえたら、子供の人生の足しになると思い、公文を続けられるよう工夫をしようとしています。

まとめ

 今回は公文に対する家でのスタンスを書きました。公文の概要や特徴を抑えた上で、公文にかかるコストや辞めてしまう事になる理由を挙げ、その上で続けるために検討したゴールが「小学校で最終教材修了」でした。これは達成すべき目標と言うよりは努力目標であり、そちらへ向かっていくという道標でしかありませんが、目指す方向としては間違ってないのではないかと思います。

 これから一緒に公文をやっていく中で、公文を楽しんでくれればいいなと思いました。 

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