公文国語の効果は? 元公文生が教える公文国語のメリット

公文 国語 受験

  公文式でよく話を聞くのは算数ですが、国語の事はよく知られていません。国語でも他の教科と同じように先取り学習はされますが、計算が早くなるというような分かりやすい効果が必ずしも出る教科ではありません。

 では公文の国語にはどのような効果があるのでしょうか?

 元公文生で国語を学んでいた立場から、公文国語の特徴や効果、逆に期待できない部分をお話ししようと思います。

公文国語の最大のメリットは知的な世界を広げられる事

 公文国語のメリットは、学習の上での基礎の基礎となる読解力や教養を深められる事です。このメリットは下記の3点から生まれます。 

知識量(読書量)が増える

 公文国語の最大のメリットは読書をたくさんするようになる所です。

 公文国語では漢字はそこまでたくさん覚えられません。もちろん言葉自体を覚える教材もありますが、教材の七割から八割は読解問題にあてられています。

 そして読解問題に使われている本の質は非常に高いです。以下は中学一年相当とされるGⅠ教材に使われている本です。

  • ことばの力
  • 兎の眼
  • クリスマス・キャロル
  • 坊っちゃん
  • アインシュタインが考えたこと
  • 君たちはどう生きるか
  • シェイクスピア物語
  • 銀の匙
  • シャーロック・ホームズの冒険
  • 教科書の詩をよみかえす
  • 詩の楽しみ

参考:公文公式サイト

 本をある程度読む人であれば、ちゃんとした本が選ばれている事を感じるのではないでしょうか。

 もちろん全文が掲載されているわけではありませんが、公文のプリントに取り組むだけでもかなりの読書量を確保する事ができます。

読書意欲につながる

 読書量が確保できるというのは、公文のプリントを読むからというだけではありません。読書への興味そのものが公文国語で育ちます。

 前述の通り、公文国語の文章の質は高いです。文章の質が高いだけでなく、教材として扱うのに相応しい部分を抜き出して問題にしてくれています。だから新たな知の世界に多く触れる事ができて、興味が湧いてきます。 

 私もH教材で読んだ土井健郎の「甘えの構造」に興味を惹かれ、図書館で探して読みました。日本語のあらゆる感情表現が甘えによって説明されていく様に衝撃を受け、そこから読む本の質が明らかに変わりました。年齢相応の小説から、評論文や哲学へと興味が移っていったのです。

 受験勉強でも名文が問題として出題される事は多いと思います。しかし受験勉強をする日々の中で、試験のプレッシャーを感じながら、名文を楽しむ余裕がある子は多くないでしょう。受験というプレッシャーがない中で名文に触れる事で、読書意欲につながり、読書へ積極的になれる事が期待できます。

幅広い教養を得る事ができる

 普通に生活していたらなかなか読めない名文を公文国語で読めるので、いろいろな知識が身に付きます。試験に直結するものと言うよりも、教養に近いような知識ですね。教養というのはすぐに役立つものではありませんし、試験の点数との関わりが見えにくい所ではありますが、受験でもその先でもずっと効いてくるものです。

 教養なんてものは傍から見れば何の意味があるのかという話になりますが、本人からするとこれほど心強いものはありません。周りの友達が理解に苦しんでいる概念を、ああこれか、とすんなり理解できるようになります。また教養は話の前提として扱われるものですから、知らないと議論で相手にしてもらえない事もあります。

 受験を終えても、人生を通して使える基礎能力が公文で得られるでしょう。

公文国語にがっかりする最大の理由は中学受験

 一方で公文国語にがっかりしてしまう人も多くいます。その最大の理由は中学受験と公文があまり合わないからでしょう。

公文が成績に反映されていると感じにくい

 公文国語は成績に直結していると感じにくいです。

 そもそも国語力全般にそういう部分があります。たくさん本を読み、難しい概念を理解したとしても、その読解力を点数へ結びつけるためにはテクニックが要ります。また中学受験では国語以外の教科でもかなりの読解力が求められますが、問題文を読めるというのがただの前提である事も事実です。問題文を読めるだけでは点数に直結しません。

 また漢字に力を入れているわけでもないですから、試験の点数に直結するものだとは言いにくいでしょう。

 ただしあくまで直結していないだけです。多くの人にとってのボトルネックとなる読解力や前提知識を、公文国語では伸ばす事ができます。これは親や講師より、公文を習っている本人が一番自覚する所でしょう。地頭とか思考力とか言われる基礎力は、すぐに点数に反映されるものではなく、またすぐに身に付ける事ができる類のものでもありません。試験に直結しない部分だからこそ公文で地道に取り組むべきだというのは主張しておきたい所です。

中学受験への効果は薄い

 公文は中学受験を想定していません。

 今ほど中学受験が盛んではない時代に生まれたものというのもあるでしょう。国語に限らず、公文式は中学受験に向いた方法だとは言えません。例えば算数では小学校・中学校の一部の範囲を扱いません。高校の範囲は全て扱いますが、図形問題なんかは全く扱わないので、中学受験の対策にも当然役立たないでしょう。

 何学年も先の教材を勉強していても、進学塾の入塾テストで落ちるという事は普通にあります。全く目指すものが違うからです。

 中学受験をするのであれば、公文式はずっとできるものじゃないと認識しておいた方がいいでしょう。公文をするのであれば、最終教材を目指すべきだというのが私の考え方です。

公文は最終教材を目標に。元公文生が子供に「小学校で最終教材修了」を目指してほしい理由を話します

小受・公文・幼児教室・ピアノ・絵本。3歳の息子と共働き夫婦の3人家族。家は戸建て。東京で子育て中。

親のコミットは必要

 公文の学習は自習がほとんどです。家でやる学習量が多いのであれば、当然親の関与が求められます。

 しかも公文式で先生の果たす役割は限られており、教材の進捗管理と採点以外にそこまで何かをやってくれるとは限りません。個人で教室を運営しているので、運営側のリソースも必ずしも十分ではないようです。

 学習塾に、子供を勉強させる事を求める親は多いでしょう。公文はほとんどその役割を果たしてくれません。最終的には自学自習の習慣を身に付けられるのが公文のメリットですが、最初からそういうわけにはいきません。親にかかる負担に対する学習時間という意味では、コスパが悪いという考え方は理解できます。  

月謝は高いのにやっている事は家でもできそうな気がする

 公文でできる事について、家で絶対にできない事っていうのは少ないです。

 中学受験であれば、塾でやっている事を家庭でやるのは無理だと言っていいでしょう。なぜなら塾には中学受験に関する膨大な情報やノウハウがあり、子供を預かって勉強させてくれる環境があります。講師の授業の質で伸び方は大きく変わりますし、良い成績を取れれば良い講師や仲間のいるクラスで勉強ができるというインセンティブもあります。お金を払い、頑張る意味というのを分かりやすく感じる事ができます。

 一方で公文では先生の力というのは大きくありません。もちろん高進度の生徒をたくさん排出する有名な教室というのはありますが、公文はそもそもが自学自習です。先生に教えてもらわなければできない教材は基本的にありません。基礎を繰り返すので、今の子供にはやや簡単な教材を何度も何度も繰り返すだけ。学年が低い程、わざわざ月謝を払わなくても同じような事ができるように感じます。

 運動部の基礎練習に近いんじゃないかと思います。外周をひたすら走ったり筋トレしたりというのは、別にわざわざ運動部へ所属して、設備や仲間がいなければできない事ではありません。一人で近くの道をランニングして、部屋で筋トレすれば同じ事をするのは別に可能です。あるいはダイエットなんかもそうですね。RIZAPに何十万も払わなくったって、ちゃんと運動して食生活に気を付ければダイエットが可能だなんていうのは自明の理です。

 ただ、運動部へ所属していないのに基礎体力が運動部より優れていたり、自力でダイエットを成功させられたりする人がとてつもなく少ないというのもまた誰でも分かる話ですよね。成功の秘訣は誰でもできる事を、誰もできない量やる事だという物言いもあります。同じように、基本的な計算問題や読解問題を公文生ほど徹底してできる子供はほとんどいないのではないでしょうか。

どんな人が公文国語をやるべきなのか?

 絵本の読み聞かせに積極的だった親は公文国語と相性がいいと思います。

 赤ちゃんの時にいくら読み聞かせをしても、子供から言葉が出てくるのはずっと先です。分かりやすい成果がすぐには得られませんが、長期的に見れば赤ちゃんの中に言葉が蓄えられていき、いつか効果が出てくれると信じて読み聞かせを続ける事になります。

 公文国語も近いものがあります。点数に表れにくい以上、公文国語をやらせていて良かったと親が実感を得るのは難しいでしょう。しかし子供にとっては一生モノの財産になる文章に触れる事ができるものです。目に見えない何かに投資する感覚が分かる人であれば公文国語は向いていると思います。

 逆に目に見える結果が欲しい親は公文国語へ不満を持つかもしれません。試験の点数や漢字検定という点に公文は直結しません。具体的に欲しい結果があるのだったら、当然その目的に特化した塾や教材の方が効果を期待できるでしょう。


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