お子さんの公文の国語がなかなか進まないと感じる親は多いです。その理由は公文そのものが持つ特性による部分もありますし、公文の教科の中でも国語が特に進みが遅いと感じやすいという側面もあります。今回は公文の国語がなかなか進まないと感じられる理由を解説していきます。
国語は算数・英語と比べて教材の量が多い
まず抑えておかなければならないのは、公文の教科の中でも国語は教材の量が多いという事です。
下記が公文の進度表です。
国語はA教材からI教材の間で一つのアルファベットがⅠとⅡに分かれており、次のアルファベットへ進むためには400枚のプリントをこなさなければなりません。通常は200枚で次に進めますから、単純に学習量は倍になります。進む速さも単純計算で半分になりますから、進まないと感じるのは当然です。
無学年学習である
また進む速度が遅いという場合だけではなく、速度が以前より遅くなった時にも「進まない」と感じるでしょう。そして公文では必ず進む速度が遅くなるタイミングが来ます。
公文は基礎を重視しますから、学習を開始する時には今の学年より前のレベルの教材からスタートする事が多いです。また応用的な内容を扱う事も少なく、最初の方はスムーズに進んでいく事が多いです。
しかし公文は学年ではなく、理解度によって学習を進める「無学年学習」と呼ばれる方式を採用しています。ですから楽に理解できるレベルでは教材がどんどん進んでいき、いずれ必ずお子さんのレベルより難易度の高い教材を学ぶ事になります。なかなか問題が解けなくなり、当然進む速度は落ちます。
ここで感じる「進まない」は公文をやっていれば必ず感じる壁で、どちらかと言えば「進まない」と感じてからの速度の方が本来の速度だと思った方がいいでしょう。
成果が目に見えにくい
進む速度が期待程ではなくても、公文の効果を感じられれば進まない事はそれほど気になりません。ずっと同じ所で足踏みしていても、見るからにテストの点数が上がったりすれば進まなさを気に病む必要はないからです。
しかし国語に関しては、そうした目に見えた効果を実感する機会が少ないです。計算力や英会話と違って、読解力というのがはっきり数値化されたり、競われたりする事はありません。
読解力というのは受験において、交通機関や電気・ガス・水道のようなインフラに近い部分があります。読解力が優れているという事がクローズアップされる事は非常に珍しいですが、いざ問題が発生すると重大な影響を及ぼします。いざ問題が発生してしまうと正常な状態に戻すのが非常に難しく、またクオリティを上げるには大きなコストがかかります。
そしてインフラの厄介な所は、重要性が高い割に、投資に対するコストパフォーマンスが悪い所です。電気を倍生産できるようになっても恐らく景気が良くなる事はほとんどないでしょうし、下水道を最新の設備に入れ替えたとしても恩恵を感じる人はあまりいないでしょう。
同じように、公文の国語にかかるコストは大きいですが、点数や偏差値と言った所に分かりやすい違いが出る事はなかなかありません。
先取り学習を期待しすぎる
また客観的には順調に進んでいても、期待が大きすぎるために、期待と実際の差が出ている場合もあります。
お子さんの成績に期待してしまうというのは多くの親が持つ心理だと思います。受験であれば進学先の知名度や偏差値が気になるものですし、学校のテストであれば順位や点数が気になる人は多いでしょう。そして公文において気にされやすいのは、実際の学年と比べ、どれだけ先に進んでいるのかという点です。
特に学校のテストなんかは同じクラスの人ですから、比べてしまう相手の事を実際に知る事ができます。相手がどれくらい勉強していて、どこの塾に入っているのか。得意科目は何で、苦手科目は何か。こういう具体的な情報を元に、追い越すためには何をすればいいのか、あるいは追い越すのを諦めた方が良いのかという点がある程度現実的に把握できます。
しかし公文は集団で授業を行う塾ではなく、あくまで個人のペースに合わせて学習が進んでいきます。教室数も多く、同じ学区に通っていても別の公文の教室へ通っている場合も珍しくありません。比較対象の姿が見えにくいので、公文に関しては目標設定や抱く理想が現実離れしたものになりやすいのです。
すると目に入ってきやすくなるのは極端な事例です。小学校低学年で高校レベルの教材を終えたという人や、反対に公文と全く合わず、先生やお子さんと揉めに揉めてボロボロのまま退会したような人です。どちらも衝撃的で注目の集まる事例ですが、起こる確率の高いパターンではありません。
しかしこうした事例に目を奪われすぎてしまった時、期待と現実が全く釣り合わないものになってしまいます。結果として期待する程には進まないなと感じる理由になるのです。
進むのを期待する方が間違っている
公文、特に国語は相当な時間をかけて取り組むものです。時間をかけるだけの価値はありますが、どんどん進んでいるとか、効果が出ていると感じやすいものではありません。
公文でなくても、長期的に取り組む物事というのは似たような性質があります。貯金がいくら貯まったか毎日口座を見ても残高はほとんど変わりませんし、ダイエット中に毎日体重計に乗っても、0.1kgの誤差に振り回されて疲れてしまいます。
こう言った物事へ取り組む時に役立つのは、短期的なモチベーションではありません。歯磨きや食事と同じように、日常の習慣の中へ組み込んでしまう事です。
進まないものをより速く進めようと焦るのではなく、公文の国語はなかなか進まないものだと割り切って取り組んでいくのが有効な心構えでしょう。