公文の特徴17選 | 現代受験でも独自の存在感を放つ公文式の世界を知りましょう

公文 受験

 現在は様々な塾や通信教材があり、子供に勉強をさせたい親で、公文の他にも様々な習い事を検討している人もいるでしょう。その中で公文にはどのような特徴があり、どんな目的のある人が通うべきか分からない人も多いでしょう。

 今回は公文の特徴について、良い所と悪い所双方を徹底的に挙げた上で、公文がどのような点で選ばれているのか説明していきたいと思います。

公文に通わせる目的

 公文に通わせる目的として挙げられる要素は多くありますが、ここでは大きく3つに分けてその特徴を説明していきます。

公文は周りと競う事なく自分のペースで学習が進められる

 まず特徴として挙げられるのが、公文は親にも子にもプレッシャーが掛かりすぎず、自分のペースで学習が進められる事です。

通わせるハードルが低い

 公文へ入会させるハードルは非常に低いです。

 公文の教室は全国各地にあり、2021年時点で15800もの教室があるようです。これはファミリーマートの店舗数とほぼ同じ教室数。どれだけ公文の教室が多いのかが伺えます。コンビニと比較できる程の数があれば、通いやすい場所に公文の教室がある確率も相当高いと言えるでしょう。

 年齢層も幅が広いです。Baby Kumonという赤ちゃん向けの公文であれば0歳からでも通える教室がありますし、中高生まででも継続して学習を続けられる教材があります。

 入塾テストもありません。クラスの中で優秀な子でも勉強の苦手な子でも、現時点の実力から見てやや簡単な所から学習が始まります。一斉授業ではないので、進みが早くても遅くても咎められる事がありません。

 年齢も実力もバラバラなので、全員で共通した目的なようなものもありません。強いて言うならそれぞれの実力を伸ばしていく事が目的だと言えるでしょう。強い目的意識がなくても、とりあえず公文に通わせようという考えで公文は始められます。

 あらゆる側面から見て開始のハードルが低いのは公文の大きな特徴だと言えるでしょう。

自分のペースで高校卒業までの勉強ができる

 進み具合も試験のスケジュールに縛られる事がありません。自分のペースで教材を進め、理解が深まれば次の教材に進みます。いつまでに習得しなければならないという期限もありませんから、苦手な所には時間がかかってもいいですし、得意な所はどんどん進んでいけます。

 そして公文の教材は高校卒業相当まで続きます。望めば大学教養課程のレベルまで進む事もできます。小さな時から自分のペースでどんどん学習を進める事もできますし、逆に学校の授業へついていけなくなった所から基礎を固める事もできます。

 理解の程度に合わせて学習を進めていけるというのは、多くの人にとって魅力的な要素でしょう。

教材が進む事が楽しい子がいる

 自分のペースで進んでいけるので、進み具合は本人の頑張りに比例します。頑張れば頑張っただけ結果が返ってくるというのは、子供の性格にもよりますが大きな励みになるものです。

 公文では教材の進み具合がアルファベットと数字で表され、子供でも自分がどの程度進んだのか分かりやすいシステムになっています。そして先へ進むとより難しい問題が出てくるので、RPGに近い楽しみを感じられるようになる場合があります。

自学自習の自由さと公文の先生という程よい重圧が両立している

 塾や通信教材を決める時、大きなポイントになるのは子供のモチベーションでしょう。いかに実績のある学習方法でも、子供の性格と合わなければ成績が伸びる事はあまり期待できません。

 学習塾であれば競争心の強い子の適正がより強いでしょうし、通信教材であれば自分で勉強に興味を持てる子が向いていそうです。そして公文は自学自習の自由さがありながら、先生に宿題を提出するという程よい重圧があるのが特徴です。

先生に宿題を提出するプレッシャーがある

 学習のスタイルの上で、ポイントになってくるのが宿題を提出するという点でしょう。

 通信教材では、親が何も言わなければ子供には勉強に対するプレッシャーが何もかかりません。ストレスはないでしょうが、宿題をやろうという気もあまり起きないかもしれません。私も進研ゼミを3回始めた事がありますが、2ヶ月程経ったら宿題をやらずに放置してしまっていました。

 一方で学習塾だと、受験への熱意に比例して子供へのプレッシャーは増します。中学受験塾であれば、テストの順位によってクラスどころか座席まで決められると言います。競争心で学習への熱意が湧いてくるようなら理想的ですが、実際には子供がふて腐れてしまったり、逆に競争へ関心が湧かず親の焦りばかりが募っていったりします。

 公文はプレッシャーという点においてこの2つの良い所取りをしています。公文の基本は自習のため、競争というプレッシャーは生まれにくいです。しかし先生に宿題を提出しなければならないので、毎日の宿題をやらなければいけないというプレッシャーはかかります。学習そのものに対するプレッシャーだけがかかるので、必要最小限のストレスで学習を進められます。

自学自習を身に付けられる

 毎日続ける事の大切さというのは、意外と学校生活で実感する機会がありません。宿題が大変だと思う機会はあっても、宿題が積み上がっていくと感じた人は少ないのではないでしょうか。

 公文は毎日何枚ずつという形で宿題が出ます。公文をやっていると分かるのですが、一日サボった後のプリントの重さというのはなかなかなものがあります。シンプルに2日分のプリントをこなさなければならないからです。サボった分のツケというのがダイレクトに感じられます。

 特に受験を意識しない年齢だと、先を見据えてコツコツと勉強を続けるのは難しいです。勉強に対する目的がない時点で、今日一日サボる事の何が悪いのか実感できる人はいないでしょう。しかし公文はまだ明確な目標がなくても、今日宿題をサボれば明日大変な思いをします。より具体的に自学自習を毎日続ける事の重要さを実感し、習慣を身に付けられるのも公文の特徴です。

基礎力を徹底して伸ばせる

 ここまではモチベーションの面での公文の特徴を説明しました。競争というプレッシャーを感じないというのは、子供自身はもちろんですが、親の焦りも大きく減らしてくれます。それでいて宿題を提出する先の先生がいてくれますから、宿題をやらなければという気持ちも生まれてくれます。

 次に触れるのは実際に身に付く力という面です。

正確性と速度の両方が身に付けられる

 公文の特徴はとにかく基礎の徹底です。

 プリントは裏表ありの5枚綴りです。ほぼ全ての問題を時間内に正解できれば次へ進めるという仕組みになっています。横でストップウォッチを持って時間を測られるという事は基本的になく、親に時間の目安が知らせれる事もありませんが、速く正確に問題が解けるようになるまで次へ進む事はありません。

 公式を理解して問題が解けるという所に留まらず、問題を速く正確に解けるまで練習を繰り返す。基礎を徹底的に身に付けられるのが公文の最大の特徴だと言えるでしょう。

計算や読みが速く正確にできるようになる

 公文で徹底する基礎は読みと計算です。

 読みと計算だけでは試験で点数を取れない事もあります。試験では暗記しなければならない事もたくさんあるからです。

 しかし受験で上を狙う程、読みと計算というのはボトルネックになってきます。読みと計算はあらゆる教科の基本ですが、高いレベルでこなすのは簡単ではありません。古文や評論文をすらすら読めたり、微分積分をすらすら解けたりというのはトレーニングを積まなければ誰にでもできる事ではありません。理科や社会ですら中学受験の段階でも問題文を読解するためにかなりの読解力がいります。

 基礎を高いレベルで習得するというのは簡単ではない上に、長い時間がかかります。受験直前で頑張ってすぐに身に付けられるものではありませんし、成績が伸び悩んだ時に基礎の部分が問題だと見抜ける人はほとんどいません。

 読解力や計算力は地頭として扱われる事も多いだけに、この力を伸ばせる事は後々大きな意味を持ってきます。

先取り学習ができる

 公文の進み具合は今の学年ではなく、理解度によって決まります。そのため問題を速く正確に解けるようになれば、今の学年で習う事より大きく先へ進めます。

 長く公文を続けていれば、二学年程度は今の学年より先の内容を学習できます。やる気があれば三学年、四学年と先へ学習を進められるというのは大きな魅力になってくるでしょう。私の家でも小学校での最終教材修了を目標に置いています。

公文は最終教材を目標に。元公文生が子供に「小学校で最終教材修了」を目指してほしい理由を話します

小受・公文・幼児教室・ピアノ・絵本。3歳の息子と共働き夫婦の3人家族。家は戸建て。東京で子育て中。

 小学校で因数分解を学んでも仕方がないという考え方はたしかにあります。小学校で因数分解の問題が出るわけではないからです。

 一方で先取り学習というのは長いスパンで見た時に効果を発揮します。最近では中高一貫校が大学受験で大きな効果を発揮していますが、その一因には高校受験へエネルギーを割かなくていい分、高校の学習過程を早い段階で終えられるというものがあります。他の中学で受験対策をしている間に中高一貫校の生徒は高校の勉強を進められるので、高校二年生の頃には一通りの学習過程を終え、最後の一年は大学受験の対策へ力を入れられるのです。

 公文の先取り学習も同じです。先に学習を進めておく事で、受験勉強においては他の科目へリソースを回せます。

公文が上手くいかないパターン

 ここまで公文の強みを挙げていきましたが、物事の良い面と悪い面は表裏一体です。公文の特徴が悪い方に出るとどのような弊害があるのでしょうか。

教室によって質のバラツキが激しい

 先程もお伝えした通り、公文の教室数はコンビニと比較できる程たくさんあります。さらに公文の先生になるためには、指導経験や教員免許も必要ありません。そして一つの教室に一人の先生しかいないパターンも珍しくなく、教室間に違いが生まれやすいです。

 教材の中身や進め方は決まっており、また自学自習のためその点で違いはあまり生まれません。しかし教室の雰囲気の差というのは意外な所に出てきます。

先生に対して生徒数が多すぎる事がある

 公文では教室ごとに先生が一人しかいない場合があります。授業があるわけではなく、教室が空いている間は採点と宿題の受け渡しが主な先生のタスクです。生徒が問題を解いている間は待つだけですが、授業をする先生とは違い、生徒が増えれば増えるだけ教室の忙しさは増していきます。

 また生徒が教室に来る時間帯というのはある程度決まっています。小学校が終わったらそのまま公文の教室へ来る生徒も多いです。そうなると小学生の多い教室で、先生が一人しかいないような場合は、ある時間帯には完全にキャパオーバーになってしまう場合があります。

 いくら自学自習とは言え、新しい単元に入ったばかりの時は質問したいタイミングがあるものです。採点で先生がいっぱいいっぱいになってしまっていては、質問のチャンスもなく一人で考え続けるしかありません。これではいかに教材が素晴らしくても、親としては不満が残る結果になってしまいます。

地域や教室によっては学童のようになってしまう

 公文への入会のハードルは低いです。入塾テストもありませんし、会費も際立って高いというわけではありません。これが良い効果を生む時は継続的な学習のプラスになってくれますが、悪い効果を生む時には、教室が子供の預け場のようになってしまいます。

 公文は入会のハードルが低いだけではなく、子供を一人で通わせやすい教室です。その教室数から子供が歩ける距離に教室がある事も多いですし、時間帯の制限もないので、お迎えが必須だという事もありません。

 見方を変えれば、子供を勉強させたいと言うよりも、働いている間預かっていてほしいというくらいの親でも子供を預けられるという事になります。

 公文は自学自習だから、別にそれでもいいじゃないかという意見もあるでしょう。しかし親が公文に勉強を期待しなければ、その姿勢は当然子供にも伝わります。真剣に勉強へ取り組まず、友達と騒ぐような子が一部にでもいれば、教室に通う子のモチベーションも大きく低下します。

 最近では小学校や中学校から私立の学校へ子供を通わせたいという親は増えています。受験による選抜があるため、問題児やモンスターペアレントが同じクラスにいる確率を大幅に減らせるからです。しかし公文では入会のハードルが低いために、問題を起こす人が入会している可能性が残っています。

対策:体験教室は活用した方がいい

 これらの問題を回避するために、体験教室というのはしっかり利用した方がいいでしょう。

 体験教室に通う時には、できるだけ本入会後と同じ時間帯に教室を訪れましょう。また長期休暇中は通っている人が教室に来る時間帯も変わっているので、そこも念頭に置く必要があります。

 できればどのくらいの時間帯に行けば混んでいないか先生に聞いてしまいましょう。先生もあえて指導が疎かになってしまう時間帯に来てほしいと言う事はないでしょう。ついでに教室は一人でやっているのか、アルバイトの先生も雇っているのかという点も教室選びの参考になります。

 もし知り合いに通わせたい教室へ通っている子がいたら、その人から話を聞くのも大事です。騒ぐ子がいたり、雰囲気が悪かったりというのは体験教室で見抜ききるのは難しいかもしれません。

 教室によって違いがあるという点はどんな塾でも変わりませんが、公文はその違いが大きくなる傾向は間違いなくあります。多角的にその教室の情報を得る事で外れを引いてしまう危険は減らす事ができます。

教材の中身はオーソドックス

 公文の教材は基礎的なトレーニングを繰り返します。楽しく教材をこなす工夫が凝らされているというよりは、反復練習の中で教材を進めていく事に楽しみを見出そうという趣向の教材です。

 オーソドックスな教材では汎用的な力を身に付けられますが、いくつかのデメリットもあります。

似たような教材はたくさんある

 教材がオーソドックスという事は、代替が効きやすいという事を意味します。

 公文という仕組みそのものの代替が効くというわけではありません。基礎を重視し、今の理解度に合わせて基礎を徹底的に反復するというのは公文のオリジナリティです。しかしある部分の教材を切り取れば、似たような教材がたくさんある事も事実です。

 例えば足し算引き算の教材であれば、傍目には違いの分からない教材は塾や通信教材どころか、市販の参考書にもいくらでもあります。先生が授業をしてくれるわけでもありませんから、少なくとも親ができる範囲の単位であれば、教えるという点においては親が自分でできる点も多くあります。

 似たような教材がたくさんある中で、公文にこだわる理由が見えにくいという事は考えられます。

宿題が負担になりやすい

 公文では毎日プリントを決まった枚数やる前提で宿題が出ます。周りとの競争という意味ではプレッシャーがかからなくても、宿題をやらなくてはならないというプレッシャーは確実にかかります。

 ここで宿題を溜めたりサボったりして、痛い目にも遭いながら自学自習の習慣が身に付いていきます。ただし当然、その過程で宿題を大きくストレスに感じる事もあるでしょう。

 競争相手がいない分、宿題をやるのもサボるのも全て自分です。勉強の面倒さを乗り越えるために工夫が凝らされているわけではありません。競争やゲーミフィケーションによって勉強を楽しみながらできる教材も数多くあり、それと比べると勉強の億劫さがダイレクトに感じられてしまう傾向があります。

単純作業の傾向がある

 公文では基礎を重視し、徹底的な反復を行います。問題を解くために創意工夫を行うというよりは、やや単純作業に近い傾向があります。

 基礎練習というものに面白みがないのは、勉強に限らずあらゆる分野で共通しています。基礎練習の大切さを否定する人はいないでしょうが、筋トレやランニングをして野球部やサッカー部へ入る人もいないでしょう。

 好奇心を満たしてくれるようなものであれば、勉強というものは面白く感じられるでしょう。しかし公文の問題が知的な面白さを目指して作られているわけではありません。特に知的な好奇心を持ったお子さんであれば、公文が退屈な単純作業に感じられるという場合もあります。

対策:公文では「特別な事」ではなく「当たり前の事を徹底する」と認識する

 公文の教材や子供の姿を見て、これは公文じゃなければできないと思う事は少ないでしょう。公文の教材がまだあまり進んでいない程に、また公文を長くやっていない程にこの思いは強くなるはずです。公文でやっている事は基本的な学習を、オーソドックスな方法で続ける事だからです。特別な指導経験がなくても、自分の子供だけであれば親でも同じような事をできることすらあります。 

 しかしこれを高校卒業レベルまで、自分の子供の理解度に合わせながら、徹底的に反復させる事は非常に難しいでしょう。子供が足し算をできるようになってきた時、九割の問題でゆっくり問題を解けるようになれば、普通だったら引き算くらいやらせてみようかという気持ちになってしまいます。バタバタした日があれば一日くらい学習を休もうかとも考えてしまいがちです。そういうちょっとした緩みというのは、基礎を固めるという点ではあってはならないものです。足し算の一割を間違えてしまえば因数分解の問題のどこかで必ずミスが生まれますし、速さがなければ時間制限の厳しい入試には対応できません。

 面白さという点でもそうです。楽しく漢字や計算ができる教材やアプリはたくさんあります。しかし楽しくできるように工夫のされた教材というのは、学年が上がる程に少なくなっていきます。大学受験の有名な参考書は、結局は文字ばかりの参考書が多いでしょう。勉強の大変さを大人側の工夫でごまかして勉強させるのではなく、勉強が大変な上で、それでも継続して学習するための気の持ちようはどこかで子供自身が習得しなければなりません。公文の自学自習と毎日の宿題は、子供にそのきっかけを与えてくれます。

公文の教材は何かの試験へ特化したものではない

 公文の教材は基礎力を養うものですが、具体的に何かの試験を目指すようなものではありません。自分のペースで基礎を伸ばしていくだけです。基礎の習得に専念するというのは大きな効果を生む一方で、公文に向かない場面というのもあります。

明確な目的がある場合は特化型の塾がいい

 何か明確に目指す試験がある場合は、公文よりも良い選択肢があります。

 代表的なのは中学受験でしょう。中学受験では、受験の時点で基本だけではなく、応用まで含めた総合的な学力を身に付けなければ点数が取れません。公文で学習するのは基礎の基礎。先取り学習をしていれば、中学受験の範囲より先に進んでしまう事もあります。中学受験をしようと思ったら、公文では対応しきれません。

 TOEICや英検のように相性の良い試験もあります。しかしそれでも専用のテキストを買った方が効率がいいでしょう。

先取り学習をしすぎて学校の授業がつまらなくなる

 公文の進度は学校の授業とは関係なく、理解度に応じて進んでいきます。これは理解を深める上では大きなメリットですが、学校の授業でやっている事と公文で習う事に差が出てしまうのは事実です。

 学校の授業の進みが早く、公文で遅れを取り戻すという時にはそこまでの問題は起きません。しかし公文が学校の授業より大きく進んでいる場合、学校の授業が退屈に感じられてしまう場合があります。

 中学受験塾でも似た問題は発生します。中学受験の問題は小学校のテストより遥かに難しいので、学校の授業は簡単すぎると感じられます。学校の授業で習った事は、既に全て塾で習っているという事もあるでしょう。

 しかし学校の授業では必ずしも授業の内容を理解する事が大切なわけではありません。勉強する姿勢そのものが大切になってきます。今は塾で内容が先取りできていても、高校、大学と進むにつれて先取りは難しくなってきます。先取りができないレベルまでたどり着いた時に、授業で初めて聞く話をその場で理解する力が足りないという話になってくるかもしれません。

 またそこまで先の話をしなくても、勉強ができるからと集団の和を乱す行為は嫌われます。不用意に子供が周囲の反感を買うというリスクは考えられます。

学年が上がると通い続けられない事が増える

 公文で鍛えるのは基礎です。基礎というのは重要なものですが、緊急で明日の小テストまでに身に付けないといけないものではありません。

 そして緊急度が低い故に、生活が忙しくなってくると後回しにされやすいのが公文です。

 子供は学年が上がるにつれて忙しくなってきます。勉強は難しくなり、友達の数もできる遊びも増え、部活や新たな習い事も始まってきます。時間も体力も有限ですから、どこかで限界は来るでしょう。

 勉強は定期テストがありますし、部活を簡単に辞めるわけにはいきません。人間関係の難易度はどんどん上がっていきます。この中で公文をやり続ける選択をするのはだんだん難しくなってきます。受験を目指している塾であれば頑張って通わせられても、公文は子供が大変そうなら辞めさせる候補に入りやすいです。

 中学受験というのも公文を辞めさせるきっかけの一つです。公文だけでは中学受験へ対応するのは難しく、高学年になると受験塾への切り替えが必要になります。受験塾と公文を併用する事はまず難しいですから、中学受験をするのであれば公文を辞める事になります。

 学年が上がる程に辞めなければならない事情が増えるというのは公文ではよくある事です。

対策:「公文を続ける余裕」のある時期を長く確保してあげる

 公文はタイムリミットのある目標を持ちません。基礎が重要である事に違いはありませんが、緊急性が高い=タイムリミットのあるイベントが優先されやすいのもまた事実でしょう。

 しかし緊急性の高い事と重要性の高い事、どちらに注力すべきかと言えば重要性の高い事でしょう。

 親にできるのは、比較的差し迫った少ない低学年のうちから公文を始める事と、あまり多くのプレッシャーを子供にかけない事でしょう。基礎にかけた時間というのは後になって必ず大きなリターンをもたらしてくれます。

 長い時間をかけて公文を続けていれば、多かれ少なかれ先取り学習が進む場合は多いでしょう。この時に忘れてはいけないのは、あくまで公文が基礎だという事です。基礎は大切なものですが、それだけでは十分ではありません。基礎だけでは十分じゃないという正しい認識を子供と共有しておく事で、学校の授業を軽視し、周りの反感を買うような事態を未然に防ぐ事ができるかもしれません。

公文の位置づけとは

 公文は通うハードルの低さや競争がほぼない事、学習を進める事自体を楽しめる事から、自分のペースで学習を進めていく事ができます。自学自習がベースですが、先生に宿題を提出しなければならないので程良いプレッシャーもかかり、自学自習の習慣を身に付けられます。加えて読みと計算というあらゆる計算の基礎を速度と正確性の両方とも高いレベルで習得し、今の学年より先の内容まで学習を進めていく事ができます。 

 しかし教室数が多く、個人運営の教室も多いために質のバラツキはあります。教材が自学自習を前提としているので、学習へ直接影響する部分は少ないですが、教室の雰囲気が悪い事はあります。これは体験教室を活用し、先生とも事前に相談する事である程度回避できる問題でしょう。 

 教材がオーソドックスだという点もあります。基礎を徹底するので単純作業の傾向があり、教材を楽しく進めるための工夫という点でも他の教材と比べると乏しいです。しかし楽しさでごまかしての学習は一時的なものです。いずれは理解する事や学習そのものに対し子供自身がスタンスを確立する必要があり、公文はそのための機会を与えてくれます。

 また公文は何かの試験に特化したものではなく、何かと優先順位を下げられやすい習い事です。受験があれば受験へ集中する事が当然大事でしょう。一方で公文を長く継続できれば、長期的には大きな効果が見込めます。子供の教育の長期的な方針を考えながら、できるだけ公文をやる余裕のある時間を長く子供に準備してあげる事が親にできる事だと言えるでしょう。

 総合的に見て、公文は親の考え方が非常に大切な学習システムだと言えるでしょう。子供の力になってくれる事は間違いない一方で、公文の成果は長期的なスパンで見ていかなければなりません。親には自らの忍耐力も求められますし、子供に公文を続けられる時間を長く用意してあげるだけの戦略も必要です。

 しかし通わせる事自体は難しくありませんし、子供がいきなり躓かないような工夫も為されています。

 気軽に始めて長く続け、最終的に大きなリターンを得る。そんな心構えで公文を始めれば、公文式はきっと期待に応えてくれるでしょう。

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