公文国語と繰り返し | 読解力も基礎の積み重ねで身に付けていくものです

国語

  

 公文って国語も繰り返し同じ教材をやりますが、意味はあるのでしょうか? 算数なら分かりますが、国語を繰り返しても答えを丸暗記するだけではないでしょうか。

国語を特別視してはいけません。国語も他の教科と同じように、基礎の積み重ねによって力を伸ばしていける教科です。そして基礎を固めるために、反復練習が大事である事に疑いの余地はありません。ただ基礎の範囲がかなり広く、また参考書や授業での勉強以外の部分でも基礎が身に付くために、特別扱いをしてしまいがちだというだけです。

 繰り返しによって基本的な文法から、難解な概念を理解するための基礎になる抽象的なアイデアまで幅広い基礎を身に付ける事ができます。今回は公文国語における繰り返しの意味を解説していきます。 

日本語でも基本的な文法を抑えるのは大切

 読解力と言っても様々な側面がありますが、まず抑えなくてはならない事があります。日本語にも単語や文法があり、基本的な部分を身に付けなければ正しく文の解釈をする事はできないという事です。

 英語を勉強する時、まず頭に浮かぶのは単語や文法を覚える事でしょう。ここが分からなければ長文を読んでも何が書いてあるのか分からないからです。日本語も同じように、基本的な部分が分からなければ長い文章を読む事はできません。母語だから自然と身に付くと考える人もいますが、これは自然と学ぶ機会があるというだけで、学ばなくても身に付くという話ではありません。

 公文ではそれこそ「りんご」や「ひこうき」のような単語を音読する所から、段階を追って教材が準備されています。国語だからと学年相応のものは読める事を前提にせず、基本的な日本語力を身に付けていけます。

 こうした基本的な要素を身に付ける上で、反復練習というのが有効である事に疑いはないでしょう。

読解力も基本的な考え方の積み重ねで身に付けられるもの

 しかし読解力という話になると、基礎の積み重ねではない特別な何かで身に付くと考える人がいます。地頭とかセンスとか思考力とか、曖昧な部分に読解力の根拠があるとされやすいです。

 ただ、読解力というものも基礎の積み重ねで身に付けられるものです。

 デカルトの方法序説で「我思う、故に我あり」という有名なフレーズがありますよね。世界を正確に捉えるために、疑いようのない一つの事実から推論を始めたい。すると見えるものも聞こえるものも、感じているもの全ては間違っているものかもしれません。見間違い、聞き間違いというものは頻繁になります。感じているものを全て疑っていくと、たしかだと言えるものは、あらゆるものを疑っている自分の思考しかないわけです。思考は存在しているから、私というものは存在している。概ねこうした意味のフレーズです。

 哲学的な議論の中では非常に明快で分かりやすい考え方ですが、抽象的な考え方ですから、例えば小学生がこれを理解するのはなかなか難しいでしょう。ではこの考え方が分かるかどうかの分かれ目はどこなのでしょうか?

 まずは「故に」とか「我」と言った単語の意味を知らなければなりません。次に「たしかな事実から始めるべき」という考え方ですね。三段論法を学んでいれば、間違った事実から始めればとんでもない結論が出るという事は経験していると思います。

 感じているものが間違っているかもしれないというのは、思い込みを利用したなぞなぞや錯視の問題をやった事があれば感覚的に理解しやすいかもしれません。少年漫画を読んでいれば、五感を欺く能力者はわりと頻繁に出てくるでしょう。あるいはスポーツをやっていれば、同じ感覚でプレイしているのにシュートが入ったり入らなかったりなんて事も経験しているかもしれません。こうした下地があれば「今見えているものが本当じゃないかもしれない」という直感的ではない考え方にも対応できます。

 抽象的な考え方というのも、歴史の積み重ねによって生まれています。一見難しく見える考え方も、一つ一つの理論の積み重ねによって生まれているものです。

 初めて読む文章を理解する時に重要になってくるのも、それが本からであれ本以外からであれ、前提になっている理論をどれだけ知っているかです。公文は繰り返しによって前提知識を身に付けさせてくれます。

繰り返しと言っても丸暗記は難しい

 ここまでで国語力の多くの部分も反復練習で身に付けられるという話をしました。しかしそれでも、答えを丸暗記してしまえば本文を読まなくなり、意味がないのではないかと思う人もいるかもしれません。

 しかしいかに繰り返しやったからと言って、公文国語の答えを丸暗記する事は難しいです。公文のプリントを繰り返す時は、30枚-50枚程度の範囲を繰り返す事が多いからです。もちろん「この文章は読んだ事あるな」とは思いますが、それでも30枚も前のプリントの答えを丸暗記しておく事は非常に難しいでしょう。

読書は何度もする事で深めていくもの

 丸暗記をしていなくても、一度読んだ事のある文章をもう一度読む意味はあるのか疑問に思う人はいるでしょう。大意の分かっている文章を読み直しても、初見の文章を読み解くための読解力は身に付かないのではないかというものです。これについても断言しておきます。文章というのは一度読んで終わりというものではなく、何度も読み返す事で大きな意味が出てくるものです。

 まず難解な本や論文を一読して全て理解できる人はいません。本に書かれているのは単体で存在する絶対的な事実ではなく、これまでの様々な議論の積み重ねの結果だからです。単体の本だけではなく参考文献も読んでいかなければ、その本に書かれた主張の真意は読み解けません。しかも本に書かれているのは「現時点で一番正しそうな事」であり、将来的には間違いが見つかる事も珍しくありません。論文であればもっと不確かな段階で文章が発表されますから、書いてある事を理解するに留まらず、批判的に読む必要があります。

 もっと分かりやすい話で言えば、同じ本を読んでもタイミングによって感じ方が違うという話もあります。中学生の時にかっこいいと思っていた少女漫画のイケメンが、大人になって見返すと「社会人なのに高校生に手を出す男ってやばいのでは?」という風に見方が変わってくるんですね。初見では読み飛ばしていたり理解していなかったりした部分が、繰り返し読む事で見えてきたりするのです。公文の繰り返しで空く期間は数日から数週間ですが、それでも時間を空けて、概要を理解した上でもう一度読む文章は全く違った体験を子供に与えてくれます。

先取り学習が進んでいれば語彙のフォローは入れてあげよう

 語彙も文法も読解力も繰り返しによって身に付くもので、公文国語の繰り返しには十分な意味がある事を説明してきました。勉強しにくい教科だけに国語を特別視してしまう方も多いですが、勉強の基本は変わりません。基本的な事を積み上げていく事で高い所へたどり着けるのです。

 一つだけ注意するならば、先取り学習が進んでいる程、語彙に関するフォローは入れてあげた方がいいという事です。公文でも読解の助けになるだけの漢字は学習しますが、言い回しやスラングと言った明示的に学習しない語彙もあります。単語の意味が分からなければ読解は困難になるでしょう。このあたりは通常であれば生活の中で何となく分かるのうになる部分かもしれませんが、先取り学習が進んでいればその限りではありません。ここは親が積極的にフォローしてあげるべき部分でしょう。

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