公文では国語の成績は伸びない? 成績へ結びつけるためのアプローチとは

公文 国語

  

 公文国語をしばらく続けたけど目に見える効果がないです。もう辞めてしまった方がいいでしょうか?

公文国語だけで国語力が驚くほど伸びる事は少ないでしょう。国語力を身に付けるには時間がかかる上、十分な読書量を確保するには公文だけでは足りないからです。

 しかし公文国語は読書量を増やすために必要な語彙や読む速度、本への興味を与えてくれます。これらの力を元に子供が本と触れる機会を作ってあげる事で、公文国語は大きな効果を発揮します。

読解は精読より速読に近くなる

 まず公文全体の効果として、正確さより速度の方が先に育ちます。

 公文ではとにかく量をこなします。部活でも仕事でも、習うより慣れろという考え方はありますよね。100本ノックとか勉強合宿とかそういった類の練習は学生の頃に何かしら経験されているでしょうし、仕事で言えば口であれこれ説明するよりも、実際に現場に立ってみた方が分かるものが多いというのは特に教える立場からすれば頷ける話じゃないでしょうか。

 習うより慣れろの段階で、一つ一つの質を求める人はいません。勉強合宿ではヘロヘロになって集中がもたない事が多いでしょうし、何も分からないまま現場に立ってノーミスで仕事ができるわけがありません。ただやってみる事で、口で説明するだけでは分からない様々な情報を体感する事ができます。簿記を学んだだけの人が経理の現場で即戦力にはなれませんが、一度決算を締めた事があればかなりの仕事を任せられるでしょう。

 公文でもこの傾向が強く、新しい分野を学ぶ時も示されるのは例題だけです。問題も宿題の量もとにかくやってみる事に重点を置くので、質はすぐには伴いません。国語もこの傾向が強く、文章を精読するより速読に近い形になります。

成長の過程でケアレスミスは増える

 するとどうなるか。公文を進めている過程では、ケアレスミスが多くなります。

 100本ノックとか100本スマッシュのような練習をしている時、1本ミスをしたらどうするでしょうか。反省し、ミスの原因を分析し、次回から失敗しないように対策を打つというわけではありません。考える間もなく次の1本が来るのです。すると何本もミスを繰り返すうちに、どうやったらミスをしてしまうのかという部分が体感として感じられます。

 習うより慣れろの練習では、ミスを何度も繰り返す事が上達の手段になっているのです。

 結果として公文ではケアレスミスが増えます。これが親から見て特に気になるのは学校のテストでしょう。学校のテストを子供が重視すべき本番だと感じていない場合、公文と同じ要領でミスへそれ程注意を払いません。

問題から見てしまうと本文をちゃんと読まない事がある

 またF教材辺りまでは、子供が本文をちゃんと読まない場合があります。問題形式が穴埋めに近く、全体を読まなくても答えられる問題が多いからです。

 公文では最終的には全体の要約のような問題が出てきます。G教材(中学一年相当)あたりからは文全体を読まなければ回答が難しくなってくるでしょう。小学生レベルでは文全体の要約は難しく、一部の文を正確に理解できるという所から段階的に進めていくのは理解できる話です。

 しかし最終的に文全体の理解を目指す教材だという事を理解していなければ、子供が間違った読み方をしているという風にも勘違いしかねません。もし勘違いをしてしまうと、このままで読解力が身に付くのか不安に思う事もあるでしょう。

漢字は受験には足りないが読解の助けにはなる

 公文の漢字については、学べてよかったという意見と、全く足りないという両方の意見が存在しています。その真意は「読解に必要な最低限の漢字を知れる」という所にあるのではないかと思います。

 公文では読解を重視します。文章が難しくなる程に、ある程度の語彙がなければそもそも何が書いてあるのか理解できません。その読解に必要な最低限の漢字を公文では学ぶ事ができます。難しい文章を読めるようになるという意味で、公文国語の漢字は評価されています。

 一方で受験において漢字問題で満点を取れるかどうかという所になると、公文で習う漢字には不足があります。受験において漢字問題は絶対に落としてはいけない基本問題です。そのレベルまでたどり着くには公文国語だけでは足りず、受験時に追加で学習する必要があります。

速読力は読解力そのものではない

 F教材までで身に付く力は、必ずしも読解力そのものではありません。掲載されている文章はあくまで題材で、本意は文章全体ではなく、一部の文章をちゃんと理解するという所にあるからです。一部の文章をちゃんと解釈できるという事が、最終的には大意の理解へ繋がっていきます。

 だから公文を学ぶ過程では、読む速度が上がっていても、読解力や思考力の底上げが十分に為されるわけではありません。親が期待する程に公文国語F教材、あるいは小学生レベルで文章をちゃんと読む事は難しいのです。 

公文国語は先へ進む程効果を発揮する

 やがて教材が中学レベル、高校レベルへと進んでいくと、文章の大意の理解が求められるようになってきます。一部の文章の意味をただ正しく理解できていた所から、より文章の全体を広く深く理解する力が身に付いていきます。

 それだけではありません。公文の教材に選ばれている文章は、古典と呼ばれる名作が揃っています。良作の文章の一部を目にしている事は、単純に教養として子供のプラスになります。しかも名作というのは、時代を超えて語り継がれるだけの良さをどこかに持っています。本というものの面白さに触れられるのも公文の大きなメリットだと言えるでしょう。

国語力を伸ばすには結局読書しかない

 公文のプリントだけでは十分な読書量を確保できるとは言えません。プリントはあくまで名作の抜粋です。普通の本を年に何十冊と読んでいる人と比べれば、読書量の差は10倍、20倍と開くでしょう。そして国語力を伸ばすには、結局多くの本を読むしかありません。

 ではそんな中で公文国語をする意味は何でしょうか? 公文で身に付けた力によって多くの本を読めるようになる事です。

 公文では文章を速く読めるようになります。読む量というのは良い本に出会うための大前提です。そして読書のための最低限の語彙を与えてくれるだけではなく、名作に触れる機会を作る事で読書への興味も与えてくれます。本に明るくない親のために推薦図書のリストまで準備してくれています。

 たくさん本を読む事のメリットはいろんな所で言われていますが、本を読む習慣を付けるまでには多くの壁があります。この壁を取っ払ってくれる。これこそが公文国語を続ける事の最大のメリットだと言えるでしょう。

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