子供の英語はいつから始める? 英語習得に挑んだ自身の経験から話します

英語 幼児

 英語の習得という話題になると、私は難しい話だと感じます。

 私は元々英語に苦手意識がありました。大学進学時に一念発起してICUへ進学し、ここで英語を身に着けてやろうと意気込みます。公私共にそこそこ英語の多い環境へ身を置きましたが、結果はもう一つ。日常会話がどうにかというレベルで、仕事に活きるようなレベルへ至る事ができませんでした。

 努力した分、他の人より少しだけ英語が得意だとは思っています。仕事でも生活でも、英語ができる事でちょっとした恩恵を受けていると感じます。一方で至ったレベルがそこまで高くない分、メリットはすごく大きいものではなく、苦労をしてでも英語を習得すべきだと言い切れる程の確信はありません。

 しかし現代の子育てにおいて、英語の話題を避けるわけにはいきません。英語ができるという事に関する様々な事情を踏まえながら、どんな選択肢を取るべきなのか検討してみました。

「第二言語は母語以上に伸びない」


 「第二言語は母語以上に伸びない」という考え方があります。日本では一般的に「日本語力以上に英語力は伸びない」という文脈で使われ、早期からのバイリンガル教育を否定する根拠としてよく使われます。

 これは感覚的にはよく分かる話です。私は中学校から英語を授業で習い始めたので、英語を理解する時も、日本語と照らし合わせながら理解を進めました。きっとほとんどの人が同じ感覚だったのではないかと思います。

 特に日本の英語教育は読み書きを重視し、話す・聞くをそこまで重視していないと言われています。この傾向を改善しようという動きはあるようですが、今の所若い世代がすんなり英語を話せるようになったという話はあまり聞きません。

 自分も短期留学プログラムでクラス分けの試験を受けた際、読み書きは6段階中の5、話す・聞くは6段階中の3でした。同じクラスの中国人やサウジアラビア人は逆のスコアが出ていて、日本の英語教育は読み書きを重視しているというのが本当なんだと実感しました。

 読み書きを重視するのであれば、英語は日本語以上に伸びないという言い方にはより説得力が出てきます。読み書きであれば何度も文章を読み返したり、推敲したりできますから、英和辞典を使えば、時間はかかっても答えに辿りつく事ができます。英語を日本語に直して読むのであれば、ボトルネックになるのは「日本語でも意味が分からない」という所でしょう。だからまずは日本語の能力を伸ばし、英語は後でいい。辻褄の合う話です。

言語習得のピークは七歳まで


 一方で話す・聞くというものを重視した時、習得のボトルネックになるのは全く別の部分になります。それは脳の発達です。

 言語習得には臨界期というものがあり、七歳までがピークで、それ以降は下降の一途を辿るようです。ワシントン大学のPatricia Kuhlさんがこの曲線自体に異議を唱える科学者はいない(けど原因については世界中の研究者が研究中)ってTEDで言ってました。


Language Exhibits a "critical period" 
Patricia Kuhl: The linguistic genius of babies
縦軸は言語スコア、横軸は年齢。7歳を境に大きくスコアが落ちていくのが分かる

 もしこれが本当なのであれば、まずは母語を優先すべきなどという事は言っていられません。日本語が十分に習得できたと言えるのは、早くても高校生あたりの事ではないかと思います。それから英語を始めようとしても、とっくに英語を習得しやすい時期は過ぎてしまっているわけです。

 話す・聞く場面を想定した時に、三回も四回も聞き直したり、言いたい事を辞書で調べたりする時間はもちろんありません。母語のように話せるという事が重要で、日本語力がどれだけあるのかという点はボトルネックになりません。

 多くのスポーツでは小さい頃から競技を始めているという事が大きなアドバンテージになります。同様に、言語習得も早くから始める事が重要だという事が予想できそうです。

三歳より前なら英語は「第二言語」にならないかもしれない


 七歳よりさらに早く、三歳より前から英語に触れる機会を作るべきだという考え方もあります。

 三歳より前ともなると、まだ日本語も出てきていない時期です。しかし英語学習の上では、まだ英語が「第二言語」になっていないという事は大きなアドバンテージになるのです。四歳、五歳になり、周りの子供と日本語でコミュニケーションを始めてしまえば、英語はもう外国語になってしまいます。日本語はもう分かるのに、英語は分からないからです。

 思春期になれば事態はもっと悪化します。この時期であれば、クラスの授業で「英語っぽく」英語を音読するだけで、クラスでは笑いが巻き起こります。ネイティブの発音を恥ずかしいと思う時期になってしまうのです。この心理的抵抗がある時点で英語を習得しようというのは非常に難しくなります。

 英語に対する壁が全く存在しないのは、三歳より前というタイミングになるわけです。ここで英語に触れる機会を作る事で、その後の英語に触れるチャンスは大きく変わってきます。

 自分は英語を話せるようになろうと決意したのが十八歳の時だったので、何歳からという部分に実体験から答える事はできません。ただ言える事は、十八歳から努力しても身につかない何かというのは実感としてあったという事です。

 大学に入ってからは、英語の講義を聞いて英語でディスカッションし、二十分程度のプレゼンをした事もあります。同じ寮の相部屋にネイティブスピーカーがいた事もありますし、何とか話せない事もないと思えた時期もあります。しかし英語が自然に感じられた事は最後までありませんでした。努力によって英語を日本語に高速変換して会話はできたかもしれませんが、英語を英語のままで捉える所までは至れませんでした。

 あるいは努力の量、質、方向によっては違ったのかもしれません。しかし私の体感として、英語ができる人には明らかに自分にはない感覚的な何かがあると感じていました。

英語を習得したら仕事に役立つのか?


 ここまでの話は「英語を習得するなら」という前提の話でした。では、そもそも英語は習得すべきなのでしょうか?

 英語を習得する「必要がある」と言われるのは、仕事の文脈での話でしょう。だからここでは仕事で英語を使うという事に的を絞って話を進めます。

 英語が「必須」ではない事は明らかです。私を含め、ほとんどの日本人は今でも英語を話せないでしょう。

 では英語は役に立つでしょうか。

英語をメインにしない仕事でも、地味に英語は役に立った


 個人の話であれば、確実に役に立っています。自分はPCトラブルの調査が主な仕事ですが、トラブルの原因を調べる時に、役に立つ情報は多くが英語です。Wikipedia先生によれば、ネット上の言語の半分以上は英語だと言われています。


 英語が読めるだけで手に入る情報の量は大きく変わってきます。 

 また業務効率化のために、ちょっとプログラミングをしてみようかという時もあります。こんな時も、公式ドキュメントが英語で書かれており、日本語版がないという事は珍しくありません。もちろん有志の方が訳してくれているドキュメントもたくさんあります。しかし英語が読める事で、手の出せる範囲というのは明らかに広がりました。

 Google翻訳は偉大ですし、自分もよく使います。しかし翻訳をかけるのは「このあたりに求める情報がありそうだ」とあたりが付いた時です。どのページ、どのエリアに求める情報があるのかを探すには、やはりある程度英語が分かっていないと苦しさがあります。英語を活かして就いた仕事ではありませんが、英語が役立つ場面というのは確実にあります。

 ただ、これは仕事で役立つ場面があるというだけの話です。キャリアや年収を一変させるだけの何かであるというわけではありません。中途半端な英語力だから当然とも言えるでしょう。では十分に英語ができると言える人に関してはどうでしょうか。

英語をあえて「活かさない」人はほとんどいない


 周りの人を見ると、英語がかなりのレベルでできる人は、ほぼ確実に英語を活かした仕事に就いています。英語がすごくできるはずなのに、特に英語を使わなさそうな仕事に就いた人はほとんど見ません。

 これは英語が好きだからというわけではなく、恐らく英語を活かした仕事は割が良いという事なんだと思います。海外赴任したらなんか手当出そうですし、アメリカの公認会計士の資格とか取ったら転職とかすごそうじゃないですか。

 あと英語のスキルって、ほとんどアップデートの必要がないのもいいですよね。プログラミング言語なんかは十年すれば化石でしょうが、十年前の英語はよほどの若者言葉じゃなきゃ大体使えそうです。一度身に付けてしまえば維持のコストが低くて、コストが低いから別の専門性も身に付けられる。

 このスキルを仕事に活かさないという選択をする人はたしかに少ないだろうなと思います。

子供の英語学習の主要な3パターン


 総合的に見て、やはり英語の早期教育というテーマは無視できないという理由の方が多そうでした。では英語を子供に習得してもらうとして、どのような方法が考えられるでしょうか。

 英語を習わせる環境としては大きく3つあると思います。

 最高なのは、もう英語を使う国で生活してしまう事ですね。仕事で海外赴任されている方なんかのお子さんがこのパターンに該当します。この状況であれば、最早英語が母語。日本語より得意になるという事も多いでしょう。いわゆる帰国子女というもので、憧れを持たれる立場になるでしょうが、私の家では夫婦共に海外に行くような仕事ではありません。選択肢には入ってきませんでした。

 次に来るのがインターナショナルスクールです。学校自体は日本にありますが、校内での言語は英語。保護者にも一定の英語力が求められ、日常的に英語へ触れる機会を確保できます。

 このパターンでも恐らく母語に近いレベルの英語は習得できるでしょう。ものすごく頑張れば親に求められる英語力もクリアできるかもしれません。しかしネックなのは学費。年に数百万かかるような学校も珍しくなく、また中途半端に数年通わせても意味があるとは思えません。これは平均を大きく上回る世帯収入のある家のためのものと思い、こちらも見送る事にしました。

 最後に来るのが英会話教室。これであれば多少の月謝を払えば、教室に通うための難しい条件はありません。

 私の家の条件であれば英会話教室に通うのが真っ当でしょう。ただ、多くの英会話教室は週に一度、一時間程度の所が多いと思います。英語を本当に身に着けようと考えるのであれば、時間の面では少し不安が残ります。

身に付けさせてあげたいのは英語に対する感覚


 ここまで調べた所で、自分が疑心暗鬼になっている事に気付きました。自分は努力したつもりなのに英語が身に付かなかった。でも英語教育という話題は子育てをする上で避けられなさそうだ。ここがスタート地点なので、何か特別なものが必要だと思ってしまっているのです。

 だから問題を一度整理する事にしました。

 日本にいる以上、英語の読み書きはある程度のレベルに達するはずです。問題になるのは話す・聞くの部分でしょう。自分が身に付かなかったと感じているのもこの2つです。

 どうして身に付かなかったのか考えると、やはり感覚の部分に行き着きます。

 学習に割いた時間が足りなかった。英語をもっと使う環境に身を置くべきだった。どちらも英語に関する知識を増やすためのものではなく、英語を自然に使える感覚を養うために必要なものです。また逆に、英語を自然に使える感覚があれば、学習時間や環境もまた容易に変えられたでしょう。英語への苦手意識がない状態であれば、早い段階から、より英語が必要とされる環境に身を置く選択をしやすくなります。

英語の子供向けアニメは初期の英語教育に有効ではないか?


 苦手意識を感じる事なく、英語にたくさん触れられる場所はないか。考えた結果、妥当だと思えたのはNetflixでした。

 家では子供にNetflixをよく見せています。元々「おさるのジョージ」をよく見せていました。ジョージは好奇心からめちゃくちゃな事はよくしますが、悪意を持った人は出てきませんし、暴力シーンもないので安心して見せられます。そして調べるうちに「おさるのジョージ」には英語音声&英語字幕があるという事を知りました。

 子供はまだ言葉がそんなに出ていません。どちらかと言うとアニメの絵を見て楽しんでいる部分が強く、話している言葉を英語に変えてもほとんど抵抗はないようでした。いつも見せているものを同じように見せているだけですから、親であるこちら側にも大きな負担はありません。これなら毎日無理なく英語に触れてもらう事ができます。

 さすがにアニメを見ているだけで習得とは行かないかもしれないと思っています。ただ、英語への苦手意識という意味だけであれば十分に対策可能です。既にこの段階で英語を耳にしており、しかもアニメを見て楽しんでいます。たぶん他のアニメを見る時も、英語だからやめておこうという状態にはなりにくいと予想されます。

 苦手意識さえなくなってくれれば、あとは英語に触れる機会をたくさん作る事ができるでしょう。それこそ英会話教室で話す練習をしてもいいですし、読み書きのドリルをやってもいいでしょう。赤ちゃんが日本語を習得する時も、一番最初にやる事は読むでも書くでも話すでもありません。とにかく聞くのです。英語でも同じようにたくさん聞く環境を作れれば、自分にはなかった英語の感覚を身に付ける事ができるようになるかもしれません。

今後の展望


 今後としては「おさるのジョージ」に限らず、様々な英語音声に触れていってほしいと思います。洋画や洋楽に関心が広がってくれれば、聞く機会としては申し分なさそうかなと思っています。

 話す方はまだ検討中ですが、英会話教室でもいいですし、コロナが落ち着いたらホストファミリーなんかをやってみれたらと思っています。

 読み書きは公文で勉強できれば理想ですし、そうでなくても学校の勉強をしっかりやってくれればある程度のレベルまでは進めると思っています。

まとめ


 子供が英語を話すようになるかは分かりません。話す必要がない道に進むかもしれませんし、別の言語を勉強したかったと思うかもしれません。英語の教育という点には、私の場合、どうしても私情が乗っかってしまいます。また自分ができたわけではなく、確信を持って子供に教えてあげられるわけでもありません。

 もっと言えば子供がどんな人間になるか、どんな考え方を持つか。私は何一つとして十年後、二十年後の子供の情報を持っていないようにすら感じます。

 そんな中で子供に何かを教えてあげるのであれば、英語を教えた結果がどうであっても、後悔しないだけのプロセスを踏みたいと思いました。考えるべき事はたくさんありましたが、納得の行く検討はできたんじゃないかと思います。

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